三十年の時が紡いだ定番カクテルの真髄

昭和63年といえば、まだバブルの余韻が続く世の中で、街を歩けば、光GENJIの曲が流れていた頃だ。大阪市北区の歓楽街、北新地に1軒のバーが誕生した。サントリーの流れを汲み、名前はハウスウイスキーだった角瓶の頭文字から、シンプルに「K」の名を冠した。当時から人気だったジガーバーの内装も参考に、真鍮などをあしらいつつ、シックでウッディーなイメージ。それから三十数年。ずっと、カウンターに立ち続けているのが、チーフバーテンダーで現オーナーの松葉道彦氏だ。
「もっと老舗の名店は、北新地にはたくさんありますから」。謙遜気味にそう話すが、開店当初から同じ店一筋というのは移り変わりの激しこの世界では稀有な存在である。五十路を過ぎた今では、日本バーテンダー協会関西本部の要職にあり、レジェンドバーとして存在感は増すばかりだが、あくまで目指すのは「普通のものを普通に楽しんでいただきたい」と肩肘張らない。
入店当時、初代チーフの厳しい教えで、最初の3年はカウンターで作らせてもらう機会すらなかった。しかし、地道な努力と研鑽を重ね、5年目には師匠が独立したことで、チーフバーテンダーとなる。本格的にカクテル作りに取り組み、2年後には店長に。カクテルコンペティションにも積極的に挑んで、1997年には全国バーテンダー技能競技大会の課題部門で優勝した。地道な飛躍は、努力の賜物だった。
 

キューバへ、そしてアイラ島へ

「スタンダードをひと通り覚えて、コンクールにチャレンジするため、オリジナルカクテルを創作したり、特に若い頃は、フルーツカクテルのはしりだったので、果物を吟味する力を身につけたりすることに一生懸命でしたね」。しかし、壁は高かった。カクテルのレシピを知りたくても、今と違い、インターネットで調べることもできない。「外国の情報が今みたいにネットで調べたりできかったので海外のカクテルブックを探して読んで勉強していました。 モヒートが日本でも人気になりそうだと思っても、調べたくても調べられない。結局、キューバまで行きました」。その成果は、のちにモヒートのコンペでグランプリを獲得することになる。スコットランドには10度も足を運び、アイラ島で造られるウイスキーを研究。ギムレットを作るために、手に入らない海外製のライムジュースを、最後は自分で作るほどの研究を重ねた。まさに目で見て覚えるを実践してきた。

終わりなき旅、終わりなき探究心

「終わりのない旅のような仕事ですが、まだ模索しています。その中で、定番のもののよさをきちんと伝えたいですね。ステアやシェイクなど作り手によって味が違うことも感じていただけるように努力したい」。今気になっているのは、日本のバーが持つ古い技術。「普段は実感がなくても、重要なことがあるなと思いますね。なぜ、これを普通にやってきたんだろうと。例えば、丸い氷。海外ではなかなかないものですし、バースプーンの回し方にしても、材料のセレクトや保存方法、保存温度も日本独特のものがある。なぜ日本だけこうなったんだろうと思うことが多いです。先達の諸先輩から話を聞かないとわからないことが多い。そこに海外とは違う日本のクオリティーあると思います」。
あくなき探究心は、スタンダードさえもアップデートする。オーセンティックバーの王道をいく。松葉氏のカクテルには何かが違う驚きを感じ、笑みが溢れるはずだ。(取材・構成:清水 泰史)

オーナーバーテンダー:松葉道彦(まつば・みちひこ)
1967年、大阪市生まれ。飲食店で約3年、調理を担当した後、21歳でBar,Kのオープニングスタッフとなり、その後、チーフバーテンダー、店長を務め、2005年、オーナーに。1997年、全国バーテンダー技能競技大会の課題部門で優勝。2007年にハバナクラブのモヒートコンテストでグランプリ受賞。現在は一般社団法人日本バーテンダー協会(NBA)関西統括本部本部長。